共有の喜び

楽しいと感じた時。
面白いと思った時。
美味しいものを食べた時。
感動した時。

こんなとき、「隣にいたらな」「これを共有したいな」と思う人がいるだろうか。

私にはいる。

こういう風に思わない時は、大抵その人がすでに隣にいる。

自分が良い気持ちになったものは、自分の大切な人にも味わってほしい。そして一緒に共有して「いいね」と笑い合いたい。


一番共有できる時間があるのが、家族だと思う。

朝起きて、鳥の鳴き声が綺麗だね
ご飯を食べて、美味しいね。
新しい食器や家具を見て、それいいね。
旅行に行って、楽しいね。
同じ帰路を歩いて、またいこうね。

家族はたくさんの「〜だね」に溢れている。

だから私は、共有したいと思える男性や、一番に頭に浮かぶ男性と結婚したい。

結婚適齢期に誰がそういう人になっているかはわからないけれど、そう思える人と生涯一緒にいられたら幸せだろう。

なんだかんだ、それがわかりやすい愛の印なのかもしれない。

怖いのは、共有ができなくなった時。

自分又は相手が共有したいと思えなくなった時。
自分又は相手に他に共有したいと思う人ができてしまった時。
自分又は相手の死。

ただ、最後の場合はあの世で永遠に共有できるかもしれない。

将来、「共有したいと思える人」と永遠に結ばれますように。