忘れられない川柳

綺麗な文章や詩が書けたらいいなと思う。

文豪たちの小説や詩を見ていると、さらにそういった欲求が高まる。

優れた文章というのは、どういったものを指すのだろうか。

優れた文とは川端康成の『雪国』の冒頭のように、情景が思わず目に浮かぶようなものだろうか。『雪国』だけではなく、『走れメロス』や『吾輩は猫である』の冒頭部分もインパクトが強く忘れられない優れた文章だと思う。

しかし、私が忘れられない文は、決して綺麗なものではなく、むしろ内容は汚い。それなのになぜか一年に二、三度は思い出してしまうのだ。

それは、小学校高学年の頃に行った職業体験を終えた同級生男の子の川柳。

寿司職人 汗いっぱいで お酢はいらない

ちょっと違うかもしれないが、大体こんな内容だった。

授業参観後に母とこの川柳をみて「汚い」と笑ったことを今でも覚えている。

なぜこの川柳を今でも思い出すのかわからない。きっと書いた本人はもう忘れてるだろう。

しかし、あの頃の私は子供心ながら、汗とお酢が同じ塩っぱさを持っていることに気づいた男の子に感心したのだと思う。

私自身はそういうジョークを書けないし、思い浮かばない人間だったから、なんだか羨ましくなったのかもしれない。

その川柳は先生が選ぶ賞にも入っていなかった。でも、私の中では今でも生き続けている。

文豪たちには怒られてしまうかもしれないが、こういうふとした時に思い出してしまう文章も、素晴らしい文章に当てはまるのだろうと思った。