忘れられない川柳

綺麗な文章や詩が書けたらいいなと思う。

文豪たちの小説や詩を見ていると、さらにそういった欲求が高まる。

優れた文章というのは、どういったものを指すのだろうか。

優れた文とは川端康成の『雪国』の冒頭のように、情景が思わず目に浮かぶようなものだろうか。『雪国』だけではなく、『走れメロス』や『吾輩は猫である』の冒頭部分もインパクトが強く忘れられない優れた文章だと思う。

しかし、私が忘れられない文は、決して綺麗なものではなく、むしろ内容は汚い。それなのになぜか一年に二、三度は思い出してしまうのだ。

それは、小学校高学年の頃に行った職業体験を終えた同級生男の子の川柳。

寿司職人 汗いっぱいで お酢はいらない

ちょっと違うかもしれないが、大体こんな内容だった。

授業参観後に母とこの川柳をみて「汚い」と笑ったことを今でも覚えている。

なぜこの川柳を今でも思い出すのかわからない。きっと書いた本人はもう忘れてるだろう。

しかし、あの頃の私は子供心ながら、汗とお酢が同じ塩っぱさを持っていることに気づいた男の子に感心したのだと思う。

私自身はそういうジョークを書けないし、思い浮かばない人間だったから、なんだか羨ましくなったのかもしれない。

その川柳は先生が選ぶ賞にも入っていなかった。でも、私の中では今でも生き続けている。

文豪たちには怒られてしまうかもしれないが、こういうふとした時に思い出してしまう文章も、素晴らしい文章に当てはまるのだろうと思った。

勝ち組?ー幸せへの近道ー

よく「勝ち組」という言葉を耳にする。

辞書によると

かちぐみ【勝(ち)組】
勝負事に勝ったり、事業などで成功した者。人生の競争で望んだ地位や財産を得た者。
https://kotobank.jp/word/勝組-463919
だそうである。

ただ意味通りだと勝ち組=幸せではなさそうだ。
あのアップル創業者として大成功し、文字どおり「勝ち組」となったスティーブジョブズの最後の言葉を読んだときにそう思わされた。


In others’ eyes, my life is an epitome of success.
他の人の目には、私の人生は、成功の典型的な縮図に見えるだろう。
    
However, aside from work, I have little joy.In the end, wealth is only a fact of life that I am accustomed to.
しかし、仕事をのぞくと、喜びが少ない人生だった。
人生の終わりには、富など、私が積み上げてきた人生の単なる事実でしかない。
(中略)
The wealth I have won in my life I cannot bring with me.
私が勝ち得た富は、(私が死ぬ時に)一緒に持っていけるものではない。
   
What I can bring is only the memories precipitated by love.
   
私が持っていける物は、愛情にあふれた思い出だけだ。
That’s the true riches which will follow you,
accompany you, giving you strength and light to go on.
    
これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと一緒にいてくれるもの、あなたに力をあたえてくれるものあなたの道を照らしてくれるものだ。
http://next.spotlight-media.jp/article/214376652661644408
スティーブの言う「豊かさ」こそが「人の幸せ」なのではないだろうか。

だから勝ち組だからと言って幸せとは限らない。

都内の高級高層マンション住み。夫の年収は1000万以上。専業主婦。子どもは私立幼稚園からエスカレーター式。
そんな表面的に誰が見ても勝ち組な家族であったとしても、旦那のDVによって妻が精神的に病んでしまったら幸せとは言えないだろう。

(とは言っても、DAIGOと北川景子は本物の勝ち組にも見えるし…。)

世間の目を気にし出したらキリがない。
本来なら人生の勝ち負けなど自分の指標で決めるべきである。

人間誰もが他人の目は気になるものだが、自分の人生が勝ちか負けかくらい自分で判断するのが、実は一番幸せの近道だったりするのかもしれない。


ふるさと納税への疑問

ふるさと納税というものが流行っているらしい。
ふるさと納税とは?
ふるさと納税とは、自治体への寄附金のことです。
個人が2,000円を超える寄附を行ったときに住民税のおよそ2割程度が還付、控除される制度です。
また、2015年4月1日より、確定申告が不要な給与所得者等に限り、確定申告の代わりとなる「寄附金税額控除に係る申告特例申請書」を寄附先自治体へ寄附する都度提出(郵送)することで住民税から控除されます。
つまり、実質今収めている県民税・市民税の一部を任意の自治体へ移転する事になります。
『ふるさとチョイス』 http://www.furusato-tax.jp/about.html
寄付もできるし、返礼がもらえるし、住民税の2割が還付、控除されるし、お得でいっぱいというわけだ。

しかし、以下のニュースのような記事を見るたび、私はふるさと納税を疑問に思う。


返礼目当てに寄付をしている人が多いというのがふるさと納税の実態である。

しかし、もともと寄付とはそんなものではないだろう。

見返りを求めて手渡すお金など寄附でもなんでもない!!

と、私は声を大にして言いたいのだ。

最大の返礼は物質的なものではなく、その自治体が活躍ないし活性化している姿ではないだろうか。

返礼が豪華な団体にお金が集まったところでそういった団体はもともとお金を持っているかもしれない。(断言はできないが)

返礼が少なかったとしても、本当に自分が関心のある地域や、これから活躍してほしい団体に目を向けるべきである。

先ほど引用させていただいた「ふるさとチョイス」というホームページでは、自分が寄附をしたい自治体を探すことができる。

とても良いホームページなのだが、その探し方に違和感を感じた。

地域でチョイス
使い道でチョイス

と並んで…

お礼の品でチョイス

これは…もう返礼目当てです!!と言っているようなものではないか。

まあ、それでも寄附がゼロってよりかは良いのかもしれないのだが、私はなんだか腑に落ちない。

返礼を豪華にすることができないほど本当に困っている自治体にこそ、光が当たる日が来ますように。



神様だけは知っている

私はいつか裁きを受けるのだろうか。

こんなことを毎日のように考えている。

法には触れなくても、人の道に反することを今日までたくさんしてきた。

誰も知らない悪いことを、たくさんした。

小学1.2年生の頃に犯した罪でさえ、未だに頭をよぎる。
あの時の景色、早くなる鼓動、体の感覚。

私しか知らない悪いこと。誰も知らない。
そう思っていた。

でも、神様は見ていた。それに今頃気付いた。

幼い頃の私。自責の念に駆られることはあったのだろうか。

『海と毒薬』の戸田が
醜悪だと思うことと苦しむこととは別の問題だ
遠藤周作『海と毒薬』
と言うように、悪いことだとはわかってはいたが、おそらく私は苦しまなかった気がする。

確か、事後も平然としていた。長い期間平然としていた。
隠蔽するためにたくさん嘘をついた。私は最後まで何も咎められなかった。 

でも、神様だけは見ていた。
神様だけは悪い私を知っている。

あの頃から今日に至るまで、全部見ていた。

神様はきっと怒りを通り越して呆れているだろう。

あの時に人の道に反することをしておいて、大人になってからもするのか、と。

私は弱い。私は誘惑に陥りやすい。
強い人間と弱い人間。
どこで何を間違えたのか。
もしや、あの時の私が、私自身を弱くさせたのか。


きっと、今後、または死後に裁きを受ける。

知と謙虚は同時並行である

世の中には悪い奴が多い。

高齢者を狙った詐欺。子を思う親心をまるで小馬鹿にでもしているような詐欺。
新たな詐欺の認知度がやっと高まったと思えば、さらに新たな巧妙な手口の詐欺も出てくる。

人を欺くのは詐欺だけではない。
カルト団体にも当てはまる。
人の弱みにつけ込んだカルト団体のしていることは、到底許されることではない。

お金の仕組みをよく知らずに…子どものことをよく知らずに…その団体のことをよく知らずに…


数日前に『知のメリットとデメリット』という題でブログを書いた。
簡単にまとめると、知っていることによって多くの迷いが生じてしまい、逆に知らないほうが迷いもなく楽なこともあるかもしれないということだった。

しかし、「知っている」方が絶対に良いことはある。それは、生きていく上で必要な知識である。
例えば、「青信号はすすめ、赤信号は止まれ」ということ。
これは知っている方が良いに決まっている。知らなければいつ車にはねられて死んでしまってもおかしくない。

これと同様に、知っておくべき知識はたくさんある。生活に関わる法律、病気について、身の危険にまつわること……などなど、挙げ出したらキリがない。


以前知人とドライブしていた時の話。
私は地理が全くわからず行き先の書いた看板も上手く読み取ることができなかった。すると知人は、「もしここで交通事故にあって、俺が意識不明になっておまえが動ける状態だとする。その時にこの場所をうまく説明できなかったら、看板をきちんと読めなかったら、二人とも助からない可能性もあるんだぞ。救急隊に素早く的確に説明できるかできないか…その一分一秒で生死が分かれるかもしれない」と話した。

このたとえ話は私にとって非常に考えさせられるものだった。

学問はテストのためではなく、よりよく生きていくためにあるのである。


宗教について全く知らない人が、キリスト教の礼拝について「宗教みたいで気持ちが悪い」と言った。
私は呆れて「宗教だからね」と空返事をした。その人は世が世なら、場所が場所なら、大変なことを言っている。
私は、その人は本当に物事を知らないのだと悟った。まず、宗教について知らない。そして、世界について知らない。
もちろんそれでも良いのだが、私は絶対にこうはなりたくないと思った。


さて、こうして偉そうに言っている私だが、私の知識だって、この大きな世界と比べてみたらチッポケなものだ。一握の砂レベルである。それすら無いかもしれない。

私だけではなく、どんなに優れた人だって、どんなにIQの高い人だって、世の中に知らないことは必ずあるはずなのだ。
知らないことが無い人なんて存在しないのだ。だからこそ、我々は常に謙虚であるべきだし、人の話に耳を傾けるべきである。
自分は周りの人より優れていると思っている間は、実際は全くそうでは無いのだろうと思う。心から謙虚に、且つ余裕を持って人の話に耳を傾けられた時、初めてその人は真の優れた知識人となるのだろう。



これは、謙虚さに欠け、人の話を聞かず自分の話ばかりしてしまう私自身への戒めのブログでもある。


口内炎について。

口内炎。実は奥が深い。

様々な形があり、様々な色がある。

綺麗な円形ならば嬉しい。
少し歪な形をしていたらその珍しさに目を奪われる。


ここ数日、舌の裏にできものができ、激痛が走るため、耳鼻咽喉科へ行った。

口内炎」と診断された。

変な病気ではなく一安心したのと同時に、少し驚いた。

なぜなら、新タイプの口内炎だったからだ。

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細長い帯状で、ビロンと垂れた白い紐は引っ張ると伸びる。

こういう口内炎もあるのか。

と、口内炎の奥深さには脱帽させられた。

口内炎ができた部位の名称を医師に尋ねると、

「名称はないが、しいていうのなら舌裏(ぜつり)。横にあるビロビロしたものなら舌下帯というんだけど…」

とのことだった。

舌に口内炎ができたことはこれまで多々あったが、舌の口内炎は経過観察が見づらい上、非常に小さい。
そのため、口内炎が舌にできるのはあまり好まなかった。
しかし、舌裏の口内炎は、痛みはキツイが観察が面白く、日々どうなってゆくのかが楽しみな場所であった。

一応薬をもらったので今夜から付けることにするが、今後が非常に楽しみである。

無意識なのだろうか、技術の先取り

先ほど、非常に面白い番組がやっていた。

Eテレの「スーパープレゼンテーション」という番組だ。

私が先ほど見たプレゼンテーションは

マサチューセッツ工科大学の若手研究者エイブ・デイビスが、無音の映像から音を再現する斬新な研究を語る。映像に映った微細な振動をコンピューターで分析し音をよみがえらせるたいう、スパイ映画の盗聴器さながらのこの技術。将来は建築物の耐久性試験など幅広い分野に応用できるという。

ものである。
途中から見たので、曖昧な部分やしっかりとわかっていない部分もあるのだが…
5秒でも、2分でも、その物体の静止画をカメラにおさめるだけで、人間の目には見えない空気の振動や風の動きなど捉え、物体の動き方などをコンピューター上で再現することができるのだ。

映画監督の役にも立つだろうと話していた。
物体の隠れた性質を明らかにする新しい映像技術
と語るエイブ・デイビスは、京都への留学経験もあるという。

その京都へ今日は足を運んだ。
お目当は、モネ展。
間近で見ると横棒の線が厚塗りされているだけのように見える。
しかし、遠くで見るとなんとまあ、美しい情景が目の前に広がることか。

一番のメインである「印象 日の出」を見たときには、あまりの美しさに言葉を失った。
「息を呑む」とはこういうことかと思うほどであった。

全てが優しい色だった。心臓を、その優しい色たちがふんわりと包み込んでくれるような気がした。


冒頭の技術がモネの時代にあったらどうであろうか。きっと「睡蓮」などは、水や花のわずかな動きもコンピューターで再現してくれるのだろう。

しかし、モネの時代にはそんな優れた技術はなかった。なかったのに、確かに「日の出」は太陽がゆっくりと登り、海が静かに揺らめいていた。「睡蓮」も同じく、わずかに動く水の上に花がゆっくり浮かんでいた。

昔の絵画には時に驚かされることがある。

このように、やっといまの時代に研究された技術を、芸術家たちは何十年も何百年も前にさりげなく取り入れたりしているからだ。